十五夜・和菓子

売場企画

十五夜と十三夜のお月見フェア

15夜・和菓子
  • 十五夜だけでなく、十三夜も月見をしていただけるような企画の実施を。
  • 十五夜だけだと片見月になってしまうことを訴求すること。
  • 伝統的な行事の楽しみ方をこの機会に伝える努力をしましょう。

ずんだ和菓子フェア

  • 枝豆をゆでてさやから出し、すりつぶして甘く味つけしたものが「ずんだ」。
  • 夏から秋にかけての出盛り期、宮城県の各家庭で作られ、ずんだもちのほか、ずんだまんじゅう、ずんだだんご、ずんだおはぎなどにしていただきます。
  • この「ずんだ」を利用した饅頭、団子、おはぎ等を集めて「ずんだ和菓子フェア」を行いましょう。

お月見セット

15夜・和菓子
  • 伝統行事としては月見団子を飾り、満月を楽しむというのが一般的。
  • 和菓子がメイン商材ですが「お月見セット」として各部門でもおつまみのお月見セットの展開を。

農家製和菓子フェア

15夜・和菓子
  • かつてはどこの家庭でも和菓子は作っていたもの。今でもお百姓さんの家庭や田舎では家庭で団子や和菓子を作る習慣が残っている地域も。
  • 全国各地の地場のお百姓さんや主婦グループ、JA組合員等の作る団子や和菓子の販売に挑戦を。
  • ふるさと産品や青果物等との連動販売でよりイベント性の強化を。

十五夜にあわせて「団子まつり」

  • 月見団子をはじめみたらし団子、地方銘菓の坊ちゃんだんご、きびだんご、いきなりたんご、抹茶だんご等の団子も数多くあるのでそれらを集めて十五夜、敬老の日、お彼岸に和菓子の展開を大々的に。

関連リンク

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知識

十五夜お月見

15夜・和菓子
  • 中国では陰暦7月を初秋、8月を中秋、9月を晩秋といい、その月の満月を拝み、楽しむ風習があり、なかでも8月15日の満月を「中秋の名月」と呼び、一年中で一番明るく美しい月をめで、供え物をし、詩歌を詠みました。
  • 江戸時代には庶民の間にもお月見の風習が定着しましたが、農作物の収穫期直前ということから、豊作を祈願する初穂祭としての意味合いが濃くなってきました。欠けても満ちる月を復活と不死の象徴と考え、たくさんの農作物を供えて豊作を祈願したようだ。
  • この日は供え物の主体が収穫されたばかりのいもになることから別名「いも名月」とも呼ばれている。
  • また、旧暦9月13日の月を十三夜といい、豆や栗の収穫期と重なるため、「豆名月」「栗名月」と呼びます。
  • お月見はこの両方に行うのが正式で、片方だけしか見ないことを「片見月」と忌みました。

名月を楽しむ

  • 三方に米の粉で作った月見だんごをのせ、里芋、果物、枝豆などの農作物を供え、すすきをはじめとした秋の七草を飾る。
  • 月見だんごは神様へのお供え物、十五夜には15個、十三夜は13個。

和菓子暦

15夜・和菓子
  • 日本には歴史の中で生き続けた多様な年中行事があります。
  • 正月、節分、雛節句、端午の節句、七五三など。
  • これらの行事日は日本人の生活文化の中で欠かせぬものといえますが、歴史と伝統の中で育まれた和菓子は、その年中行事と深い結びつきを持っています。喜びの日や祝いごとの日に和菓子を食べる。これも生活にうるおいを与える日本人の知恵といえましょう。ぜひ、折目節目に和菓子で年中行事を。
    • 正月・・・・・・年賀の和菓子
    • 鏡開き・・・・・お汁粉
    • 成人の日・・・・祝菓子
    • 大寒・・・・・・寒餅・元気餅
    • 節分・・・・・・立春大福・福豆
    • 雛節句・・・・・菱餅・雛あられ・桜餅・道明寺
    • 彼岸・・・・・・おはぎ・十六団子
    • 花祭・・・・・・花まんじゅう・いただき
    • 端午の節句・・・ちまき・柏餅
    • 母の日・・・・・季節の和菓子
    • 和菓子の日・・・季節の和菓子
    • 父の日・・・・・季節の和菓子
    • 七夕・・・・・・たなばた餅
    • 中元・・・・・・和菓子全般
    • 土用・・・・・・土用餅
    • 帰省・・・・・・郷土の和菓子
    • 敬老の日・・・・養老まんじゅう・季節の和菓子
    • 秋彼岸・・・・・おはぎ・団子
    • 十五夜・・・・・団子
    • 十月亥の日・・・亥の子餅
    • 七五三・・・・・千歳飴、祝菓子
    • 歳暮・・・・・・和菓子全般
    • 餅つき・・・・・餅

和菓子の歴史

  • 古代人にとっての菓子は、天然の果物や木の実であり『果子』であったと考えられています。
  • その後、穀物加工の技術が生まれ「餅・団子」が作られるようになり、甘葛煎(あまずらに)など蔓あまちゃを煮詰めた甘味が生まれたり、米もやしから飴が作られたりしました。
  • 時代が進み遣唐使が大陸に渡るようになり、唐菓子(からがし)が移入され、粉をこねたり油で揚げるなどの 技術が伝わりましたが、多くは祭神用として尊ばれたようです。
  • やがて茶が伝わって喫茶の習慣が発達します。
  • その頃になると菓子も趣向をこらすようになり製菓技術は飛躍的に進歩します。また、南蛮菓子も渡来し、カステイラ、ボーロ、ビスカウト、こんぺい糖、有平糖などが紹介されましたが、これらの菓子の製法が和菓子の発展に大きく寄与しました。
  • 江戸時代になると京都を中心とした「京菓子」と江戸を中心とした「上菓子」が競い合って、和菓子製造技術は大きく発展し、現代の和菓子とほとんど変わらない優れたものが数多く生まれました。
  • そして、明治となり、西洋菓子が伝わりますが、これも和菓子の成長にとって大きな影響をもたらしました。
  • 古代の穀物加工技術の発展に加えて唐菓子、南蛮菓子、西洋菓子の影響を受けた 和菓子の技法は、さらに日本独特の文化と伝統の中で育まれて今日を迎えているといえましょう。
  • これは、日本人が新しい技術を受け入れて、それを吸収し自分のものとして、その中から新しい日本独自の和菓子を創り出してきたことを示すものでもあります。

和菓子の日について

15夜・和菓子
  • 和菓子の日(6月16日)は1979年(昭和54年)に設定されました。美しい日本の四季と歴史の中で育まれてきた民族の味『和菓子』の素晴しさをもっともっとお客様に親しんでいただきたい。
  • また、和菓子の製造に携わる者も、この勝れた日本の食文化を正しく隆盛に後世に伝え残すために一層の努力を積み重ねていこう。と願って設定された日です。
  • この日の由来は、平安時代848年頃、当時国内に疫病が蔓延したことから仁明天皇が元号を「嘉祥」とあらため6月16日に16の数に因んだ菓子、餅を神に供えて疫病除け、健康招福を祈った古例に始ると言われています。
  • その後、後嵯峨天皇(1220~1271年)が吉例として行ったのをはじめ室町時代には年中行事として行われるようになったことが「武徳編年集成」その他たくさんの古書に記されています。
  • 江戸時代になると、大切な祭りのひとつに数えられ、幕府では御目見得以上の士分に大広間で菓子を賜り、これを嘉祥頂戴といいましたし、町方でも嘉祥喰といって、嘉定通宝16枚で菓子を求めて食す、また、米1升6合と菓子を交換して食べるなど、疫病退散健康招福を祈願する行事として盛んに行われました。
  • この由来を現在によみがえらせたのが「和菓子の日」です。
  • ご家族や親しい方々の健康を願って和菓子を贈る、和菓子を食べる。
  • ぜひ、心暖かい日本の習慣として育ってほしいと願っております。

和菓子の由来

  • 和菓子には、花鳥風月や自然の風物、和歌俳句や文学、郷土の歴史や地名などから生まれた「菓銘」がついています。
  • いわば、どの和菓子にも必ずと言って良い程「由来」があるのです。
  • そのことを知って召し上がって頂くことが和菓子の味わいを一層深めますが、ここでは、ごくポピュラーな和菓子の由来をご紹介。
    • 金鍔(きんつば)
      • 徳川五代将軍綱吉の頃、小豆餡をうるち米の粉で包んで焼いた焼餅が京都に生まれ「ぎんつば」といって庶民にたいへん喜ばれたと言います。そのぎんつばが亨保(1726年頃)の頃、江戸に渡って来たといわれ、江戸風の工夫を凝らして銀よりも金が上というので「きんつば」になったと言われています。刀の鍔(つば)の様に円型に薄くしたもので(現在は四角く切ったものが多い)、吉原土手付近や日本橋魚河岸付近に屋台店が出されて人気を博したと言われています。
    • 桜餅
      • 江戸向島の長命寺(3代将軍家光の命名)の門番であった下総国の山本新六が、元禄の頃、向島堤の桜の落葉の掃除に追われ、この葉をしょうゆ樽に漬けて売ってみたが、あまり売れなかったので、桜の葉を塩漬にして、小麦粉を溶いて薄く焼いた皮に小豆餡を包んで、塩抜きをした桜の葉で包んだ。これが花見客などに大評判となり江戸名物のひとつとなったと言われています。
    • 柏餅
      • 柏餅は江戸時代から端午の節句には必ず用いられました。柏の木の古い葉は新芽が育つまで枯れないので子孫繁栄の縁起の良い葉とされたことや、柏餅を包む手つきが神前でかしわ手を打つ姿に似て、武運を祈願する端午の節句にふさわしいという意味もあったと言います。もともと柏の葉は古代から食器として用いられていたこと、また、柏の葉の薬効なども理由のひとつに挙げられると思います。
    • おはぎ、ぼた餅
      • ぼた餅の名の起りを仏教に求める説もあるようですが、ここでは素直に「倭漢三才図会」に書かれている「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあるのを信じたいところです。
      • 萩の花、おはぎというのは女性の言葉という説もあります。また、一名「隣しらず」とも言われたこともあるようですが、これは餅といいながら臼でつかないので隣の人に聞こえないところから言われた江戸風のシャレ言葉のようです。いずれにせよ根本に「共食信仰」があることは事実で、彼岸に仏前に供え、また親類、近隣にも配る習慣が生まれたのです。
    • 饅頭(まんじゅう)
      • まんじゅうは中国から伝来したもので名前も蛮頭、蔓頭、包子などの文字を用いて呼ばれていました。中国の三国志で知られています諸葛孔明が南蛮を征した時に濾川という川のほとりで激しい風浪にあい、これをしずめるために人を殺してその人頭を川の神に捧げる風習があると聞き、人の頭のかわりに小麦粉に羊や豚の肉を包んで祭壇に供えるようにしたという伝説にはじまると言われています。その後、日本に渡って肉を食べない風習の中で現在のまんじゅうが生まれてきたと思われます。
    • 羊かん
      • 羊かんについては平安時代末期の書にも現われており、羹(あつもの)として唐の国より伝来したものとあります。元々は鳥獣、魚介を使ったものだったのですが、肉食をしない風習の日本では、汁の中に肉に似せた形や色のもの(穀類などをこねて作ったもの)に変化してきました。その中味だけが取り出されて蒸菓子として珍重されたのが羊羹(ようかん)の始まりで、その頃は現在でいう蒸し羊かんの様なものであったと思われます。その後歴史の中で発展し、現在の煉羊かんなどが生まれてきました。
    • 亥の子餅
      • 旧暦の10月初めての亥の日に祝って食べる餅で、この日に餅を食べると万病を除き長寿を保ち、多産の祈りがこめられていると言われています。多産のいのししにあやかった伝説から生まれたもので古い記録にも現われています。(全国和菓子協会より)

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